page top
Southeast Asia Report 31 / 東南アジアレポート 31
2007年11月26日 Osaka (Japan)

Interviewing in Phnom Penh分探しの旅。あまり好きな言葉ではありません。やりたいことは見えていて、ただ、そこへ歩みを進めるべきか否か。そこをはっきりさせたかったための旅でした。実際に僕の旅は「自分探しの旅」ではなかったと信じています。強いて言うなれば「自分との話し合い」が一つの大きなテーマだったのではないでしょうか。

この旅で多くの人々に出会い、そして何よりも開発援助に関わる人たちとたくさんの話を交わすことができました。こうした「人との話し合い」が必然的に「自分との話し合い」になったように感じます。

以前から思っていることですが、今回の旅でより強く認識したことがあります。それは、どこかの国へ行って有名な遺跡を見て、その国の文化を楽しむといった観光は、僕には合わないということです。

どこへ行っても、いつも通り熟睡でき、何を食べても、おいしいと言える。日本で暮らしているのとなんら変わりない気持ちのまま生活できてしまう。これはとても良いことの様に聞こえるかもしれません。しかし裏を返せば、違う土地へ行くこと自体に、それ程大きな感動を持てないということです。つまり、僕にとっての旅は単なる観光だけでははるかに物足りないということです。

「どこへ行くか」ではなく、「何をするか」という目的がはるかに僕の旅にとっては大切だということ。これを確認できたのが、この旅でもっとも良いことだったのではないかと思うわけです。「どこで働くか」ではなく、「どう働くか」です。

8ヶ月の連載を今日で終えるにあたり、これまで少しでも目を通していてくださった皆様に感謝するとともに、日常には無い世界をほんの一瞬でも感じていただけたとしたら嬉しいです。そしてまた新しい僕の「旅」をお届けできる日を楽しみにしています。

それではまた、世界のどこかで会いしましょう。

Ippei

注)東南アジアレポートの連載は終わりますが、Ippe Road 旅人の見た世界 は今後も続きます。
page top
Southeast Asia Report 30 / 東南アジアレポート 30
2007年11月25日 Beijing (China)

Ramen in Chinaの終わりには必ず何かが起こる。タイ国際空港で北京行きのキャンセル待ちを12時までしていて、最終的に乗ることができた。午前11時ごろから待っていたため、かれこれ半日以上空港にいたことになる。さすがに疲れた。ただ、北京から大阪行きの乗り継ぎ便の手配が実はできていない。中国国際航空の職員に予約を申し出たものの、彼が言うには「長い間待たせてすみません。私どものコンピューターが故障しており、現在こちらからは予約はできない状況となっております。ただ、空席は確認できておりますので、北京空港に到着後に予約なさっていただければと思います。」ということだった。半信半疑で飛行機に乗り込み、機内食にも気付かず、眠りに落ちた。

一度も目を覚ますことなく着いた北京空港で、悪い予感は的中した。案の定、大阪行きの飛行機は満席で予約できないというのだ。6時間前にタイで確認したときに予約できれば埋まることはなかっただろうに。完全に航空会社の不手際なのだけれど、タイの地上職員とこちらの職員の間でやり取りがなされているとは思えず、全くこちらの事情を把握していないとの事だった。また、扱いもひどく、「今日はもう無理だから、また明日の朝早くに来てくれよ」と軽くあしらわれた。

どっと押し寄せる疲れの中、空港で雑魚寝する気力もなく、近くにホテルを予約し、そこで夜を明かすことにした。ホテルと言っても、見た目は昔の軍事施設のような雰囲気を持つ建物だった。門にホテルの看板はなく、裏口のようなところから中へ入ると薄暗い照明と冷たい廊下が僕を迎えた。

いつか中国も旅行で訪れてみたいけれど、どこか重たい雰囲気を感じた。
page top
Southeast Asia Report 29 / 東南アジアレポート 29
2007年11月24日 Bangkok (Thailand)

STARBUCKS in the China Airportは突然始まり、ふいに終わりを迎える。数ヶ月前に思い立った今回の旅も、一晩考えた結果、そろそろ終わりにしようと思う。そして今、バンコク国際空港にいる。昨夜遅くに東南アジア随一の旅人の街カオサンロードに到着した。この小さな町はカンボジアやラオスのどこの地域と比べても明らかに違った雰囲気をかもし出している。夜12時を回ってもキャミソール姿のタイ女性と白人、アジア人が手をつないで歩いていたり、多くの飲食店が開いている。夜も眠らない町だ。どこか東京の歌舞伎町や日本の繁華街に似ていて、全く外国にいる感覚がなくなる。ニュージーランドへ行っても、日本にいても、世界のどこにいてもマクドナルドやケンタッキー、スターバックスで同じコーヒーを味わえるのと同じで、新宿にいても、カオサンロードにいても、同じような雰囲気を味わえる。どこか不思議な感覚で、そしてどこか物足りない寂しさに包まれた。

Going homeこの旅の最初に、北京空港で会ったイギリス人ビジネスマンの話が脳裏をよぎる。「バンコクは君が行きたいような街じゃないよ。セックスしかすることがない街。俺は君の心が汚れてしまうのが心配だよ。」今、彼の言葉がはっきり理解できる。ホテルの廊下で、懐かしい日本語が聞こえてきて振り返ると、未成年らしきタイ女性と日本人が手をつないで部屋へ消えていった。
page top
Southeast Asia Report 28 / 東南アジアレポート 28
2007年11月23日 Battambang (Cambodia)

Battambang City発とは何か。この旅を通して考えてきた壮大なテーマ。先進国がこぞって途上国と呼ばれる国々を「開発」の名の下に変えていっている。お金を出して援助し、その国の最低限の生活水準を引き上げることはとても良いこと。だけど、たいていの場合、少なくとも僕が知っている限りにおいて、先進国の行う開発は物質的に豊かな社会、便利な社会を作る方向に向かっているように感じる。先進国の行える、アドバイスのできる唯一の開発手法は、自分たちの歩んできた道。それを教えるということだけだ。それを大きく変えて、違う形で他の国の社会設計を手伝うことは難しい。

To Poipetたしかに僕らはコンビニで24時間あたたかいおにぎりを買えるし、欲しい電化製品も手に入れることができる。しかし、裏を返せば日本は今たくさんの問題を抱えていることに気付く。環境問題をはじめ、家族の時間を得られない家庭、そして仕事の悩みによる自殺。日常の中に心の痛む出来事があふれかえっている。「効率」を追い求めて「発展」してきた蓄積が、今その許容を超え、音を立ててあふれ出してきているようにさえ感じる。果たして「先進国」日本は幸せなのだろうか。

A market in Battambang少し視点を変える。東南アジアを旅していると、背中とお腹に大きなバックパックを抱えた多くの日本人、白人を目にすることができる。バックパッカーと呼ばれることに抵抗があったので、僕は小さなリュックサックを背負い、遠足に来ているかのような格好で歩いていたけれど、紛れもなく僕もそんな旅人の一人だ。では先進国の人々は何のために途上国を旅して歩くのだろうか。多くの人々は文化の違い、物価の違い、あらゆる違いを体験したいがために旅をしているのではないだろうか。僕らは皆違うことをとても心地よく感じるし、全て同じなら改めて見聞する意味もない。

A girl working at the Homeland cafe今、「開発」と言ったとき、それは大きなオフィス街や、巨大なビル、マンションを建てることを連想させる。そして、最初は道路の整備から始まる開発も、進行していくにつれて今の東京のような大都会を構築する方向へ向いて行くような気がする。東京のような巨大ビル群の街が世界中にできて、どこへ行っても同じような四角い建物に出会うようになってしまうのだろうか。世界の皆が伝統的な自分たちの料理をやめてしまって、フライドチキンやマクドナルドを食べるようになったら・・・。その時、バックパッカーと呼ばれる旅人はどこへ向かうのだろうか。もはやどこへ行っても同じ風景の世界で。

しばしば、1日1ドル以下で暮らす人々○○人とかいう指標を目にする。また、明かりをたき火で補っている人々○○人という指標も目にする。果たしてこれらは貧しさの指標なのだろうか。石油を燃やして何のためらいもなく電気を使っている生活が豊かで、自然の中で自然とともに暮らしている人々が貧しいのか。枯れた小枝を燃やしている方がよほど環境に良いだろうし、無駄遣いもきっと最小限にするよう心掛けるのではないか。どちらが良いのか僕の経験からはなんとも言えない。

現在の「開発」は途上国の人々に「便利さ」を提供しようとしているように感じる。だけど、先進国の方も自分たちの便利さをそろそろ削っていく必要があるのでは?と時々思う。「便利さ」は一定量しか世界には存在しなくて、それをうまく配分しなきゃならないんじゃないかな。それは資源が一定量しか世界に存在しないのと比例するように思う。
page top
Southeast Asia Report 27 / 東南アジアレポート 27
2007年11月22日 Battambang (Cambodia)

Kids playing roles都プノンペンから北西へバスで5,6時間走り、バッタンバン州に入った。プノンペンを出てから国道をひたすら真っ直ぐ走ってきた。何もない大穀倉地帯が目の前に広がった。カンボジアの米どころだ。同時にこの地域はプノンペンに次ぐ大都市でもある。しかし、そこに都会の喧騒はなく、古き良き人々の暮らしらしきものがあるような気がした。

バスターミナルへ到着し、昨夜連絡を取っていた現地NGOの人を探してみたが、それらしき人は見当たらない。仕方がないので、近くの店に入って、電話を借りることにした。電話を掛けるといっても、公衆電話のようなたいそうな物があるわけでもなく、ただ携帯電話を持っている人にお金を払って借りるだけのことである。この掛け方にももう慣れた。

Homeland orphanage案の定、まだバスターミナルには来ていないようだった。それどころかまだNGOのオフィスにいるらしく、数十分はかかるとの事。かなりノンビリしている。これがもし日本でのことなら、いらいらしてしまう場面かもしれないが、ここではなぜか「やっぱりな」と思ってしまう。僕らには僕らの時間があり、彼らには彼らの時間があるのだ。同じ1時間でも、彼らにとっての1時間と僕らにとっての1時間は全然違った意味を持つ。効率が全てではないことを彼らは僕らに教えてくれる。

NGOの代表とその息子が、NGOオリジナルカラーに塗られた原付で迎えに来た。僕と同い年くらいの彼が運転するバイクで僕はNGOが運営する孤児院へ向かった。ノーヘルで原付の後ろに跨るのは少し怖いけれど、大穀倉地帯のど真ん中を走っていると思うと心躍る気持ちになる。

孤児院はそれこそ大自然の真ん中にあり、そこで10歳から18歳くらいの子どもたちが学び、遊んでいた。僕が到着すると、楽器の演奏や踊り、あるいは全員の自己紹介など、彼らは暖かく迎えてくれた。そして、仕事の交渉をしてから夕方日が暮れるまでボールを蹴ったり、バレーをしたりして過ごした。

この日の夕日は格別に綺麗だった。
© Ippe Road 旅人の見た世界. all rights reserved.
ホームページ アフィリエイト レンタルサーバー FC2ブログFC2管理用
Page top
FC2 BLOG